櫛の歴史
日本の櫛の歴史は古く、福井県の鳥浜貝塚から【縄文時代前期】(5~6千年前)の木製の櫛が発掘されています。この櫛は、ヤブツバキ製で一枚板から九本の歯を削り出したもので赤い漆が塗られていました。縄文時代の櫛は、現在のところ東日本に偏っていて形は、縦櫛で髪を梳かすものというより、現在のまとめ髪に挿す髪飾り櫛のようなものだったと推測されています。また櫛という言葉は、不思議だという「奇し」や「串」と語源が同じだと考えられています。日本の古代では、先の尖った一本の細い棒に呪力が宿るものと信じられていましたが、神に捧げる玉串(タマグシ)、神を招くときにたてる斎串(イグシ)は、その例としてあげることができます。このことから、櫛は、髪に挿すことで霊力を授かったり、魔除けとしたりする呪術的な意味も込められていたようです。櫛が木に変じた伝説も日本各地に残っており、古来、櫛は、髪の霊力を招くと信じられ、その力を放てば命が生まれ、身に付ければその人を守るとされていました
【縄文時代前期】
出土がする櫛は縦櫛が多く、縦櫛が主流だったと考えられます
【縄文時代後期】
それまでの縦櫛から横櫛へと変化していきました
遺跡からは、櫛のほか骨や角を利用した種々の髪止め・装身具なども多数、発掘されていて当時の人々は美的感覚に優れ、お洒落(おしゃれ)だった様です
【弥生時代】
角髪(みずら)を結い髪型は権力の象徴となり、鬢を止める鬢櫛もありました
【奈良時代】
中国の隋・唐文化の影響を強く受け、化粧・髪型・服装にまで及んで櫛なども輸入されています
『万葉集』 君なれば何(な)ぞ身装(よそ)はむくしげなる黄楊の小櫛も取らむとは思わず
歌の意味 あなたがおいででなくては、何で身を飾りましょう 櫛の箱に入っている黄楊の櫛の小櫛も手に取ろうとは思いません
歌からもわかる様に、この時代 黄楊櫛が櫛箱や櫛笥(クシゲ)に入れられていました
当時、梅や萩の枝を折って髪に挿して飾りとしていた様ですが、そのものの活力をもらうという意味が込められていた様です
【平安時代~江戸時代】
約700年間は,女性の髪型は主に垂髪だったため実用的な梳き櫛(スキクシ)以外の装飾的な櫛は発展しなかった
十二単衣(じゅうにひとえ)おすべらかしに使う半月型の櫛を挿し装飾品を止めています
平安貴族は祭祀や儀礼の折には、冠に生花や造花を挿したといわれています
京都の葵祭りでは、今も頭に葵をつけています
【江戸時代】
天下泰平の世を迎え、女性達は様々な形に髪を結い上げ、その黒髪を飾る装飾品(アクセサリー)として飾り櫛が再び登場します
素材は、黄楊、べっ甲、象牙、ガラスと様々で蒔絵や透かし彫り、螺鈿(らでん)などの装飾がされ、模様は花鳥風月、物語、文字や人物、生活用品まで描かれ、一つの小さな世界が作られています